テネシーワルツのころ
運転中、ラジオをつけたら
帯津先生が出演されていました。
トークの合間に
ゲストのリクエストした曲が流れます。
この日のゲストだった帯津先生のリクエストは、
「テネシーワルツ」と「上を向いて歩こう」の2曲。
テネシーワルツが昭和27年、
上を向いて歩こうが昭和36年の曲です。
かつての日本に「私がいいなぁ」と思える時代が
二つあって、一つは明治維新以後40年くらい、
「坂の上の雲」の時代。
もう一つは昭和20年代後半から
昭和30年代後半、と帯津先生。
ただ、秋山実之が急性腹膜炎、
正岡子規が結核で死ぬなど
医学の進歩という点で
昭和のそのころは、よりいい時代だったと思う。
戦争の傷も少しずつ癒え、
物資にも恵まれてきて、
いい意味で、人との競争心を煽られることもなく。
あのころは、いつも晴れていたような気がする、
みんな生き生きしていた。
あの時代の、良かったと思えるものを
もう一度、復活させたい、と。
そのために、なさっていることの一つが
帯津三敬病院内の道場で行われている「養生塾」
(一度参加させていただいたことがあります)。
内容は、太極拳や気功、帯津先生のお話しなど。
病気の人もそうじゃない人もいます。
すべてはこころと体の健康から、
ということでしょうか。
帯津先生が出演されていました。
トークの合間に
ゲストのリクエストした曲が流れます。
この日のゲストだった帯津先生のリクエストは、
「テネシーワルツ」と「上を向いて歩こう」の2曲。
テネシーワルツが昭和27年、
上を向いて歩こうが昭和36年の曲です。
かつての日本に「私がいいなぁ」と思える時代が
二つあって、一つは明治維新以後40年くらい、
「坂の上の雲」の時代。
もう一つは昭和20年代後半から
昭和30年代後半、と帯津先生。
ただ、秋山実之が急性腹膜炎、
正岡子規が結核で死ぬなど
医学の進歩という点で
昭和のそのころは、よりいい時代だったと思う。
戦争の傷も少しずつ癒え、
物資にも恵まれてきて、
いい意味で、人との競争心を煽られることもなく。
あのころは、いつも晴れていたような気がする、
みんな生き生きしていた。
あの時代の、良かったと思えるものを
もう一度、復活させたい、と。
そのために、なさっていることの一つが
帯津三敬病院内の道場で行われている「養生塾」
(一度参加させていただいたことがあります)。
内容は、太極拳や気功、帯津先生のお話しなど。
病気の人もそうじゃない人もいます。
すべてはこころと体の健康から、
ということでしょうか。
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