主は自分

家の周りを、犬を連れて散歩している人がいます。
とくに朝夕に多いですね。

年のころ二十歳くらいでしょうか、
玄関周りの掃除をしていると、
小柄な女性がポメラニアンを連れて歩いていました。

お、朝の散歩だな、犬はうれしそうだけど、
人は眠そうだな。

しばらくすると、
今度はラブラドールを連れた、これまた小柄な二十歳くらいの女性。

大型犬は散歩も大変だろうな。

と、掃除を終えて、洗車に取り掛かりました。

すると、今度は柴犬を連れた、これまたまた小柄な女性。
年のころは二十歳ほど。

あれ、似たような人がいるもんだ、しかも同じ時間帯に。

・・・まてよ。

おんなじ人だ。

同じ人だったんです。

おそらく近くのペットホテルかなんかの従業員さんですね。

ということが、あったと、
自分でもダックスフントを飼っている、犬大好きという患者さんに話したら、
「僕も学生のとき、犬の散歩を代行する、アルバイトやっていたことあります」と。

なんでも、八十八歳のご老人が13ひきの柴犬を飼っていて、
とても自分では散歩できないからと、
個人で契約して、やってたんだそうです。
朝夕2回、散歩するそうです。

でもそうなると、誰の犬なんだか。

きっと、犬は誰が飼い主か、わかっていると思いますけど。

ストレッチや、ウォーキング、ジョギングや、ヨガなどを続けていると、
おっ、今日は調子がいいな、とか、
あれ、今日は右が硬いな、とか、
今日は息が上がるのが早いな、とか
そういうことが、わかるようになってきますね。

生きている生身のカラダですから、
調子がいい日ばかりではないのは、当たり前なんですけど、
ストレッチをやる前は、
そういう当たり前のことが、よくわからないんです。

ストレッチや、ウォーキングをやる目的は、
習慣になると、それ自体が楽しい、気持ちいいからやる、
となってきますが、たいていの場合は「健康のため」だと。

健康のため、に違いはないんでしょうけど、
そういったものを通して、
自分のカラダと対話するというか、
そういう時間をちょっとでもつくる、
ということが大切なんじゃないかと思うんです。

カラダの声を聞いてあげる。
他人のカラダじゃない、自分のです。主は自分。

おうおう、そうか、そうか、お前も大変だな、
いつも、ありがとね、と。

犬も自分の飼い主と散歩した方が、うれしいんじゃないかな、
いろいろ事情はあるだろうけど。

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