関が原

読み終わりました「関が原」。
上、中、下の全三巻。

登場人物が多いのと、それぞれの武将が開戦間近なっても、
また開戦してからも東西のどちらに付こうかと常に思案しているために、
徳川方か石田方か、途中で誰が誰やらわからなくなることもありましたが、
細かいことはあまり気にせず読みました。

とはいっても、さりげない説明を加えながらの、進行の流れ、勢いを
途絶えさせないストーリー展開は、さすがは司馬先生といった感じです。

史実や戦さの場面以外でも、人物の性格やその時々の心の様子、
人間模様が巧みに描かれていて、いろいろな楽しみ方ができます。

平成の時代に、のほほんと生きている私には、いくら小説が臨場感
あふれる面白いもので、書かれていることが実際にあったことだと
いわれても、今ひとつピンと来ませんが、「関が原」の合戦は、
この国であった数百年前の事実です。

歴史に「たら、れば」はありませんが、もし光成方が勝っていたら、
小早川秀明が裏切らなかったら、その後の日本はどうなっていたのだろう、
と考えてみたりします。

読み取れることはさまざまありますが、印象深かったのは、
家康と光成の自分の体に対しての気の使い方、いたわり方です。

家康は「判断力が鈍くなる」「弱気な思考をしてしまう」という理由から、
風邪をひく、疲れるということを嫌います。天気が悪ければ、遠征を
一日遅らせます。

一方、石田三成は雨中の行軍を決行したのと、
精神的疲労からお腹をこわし、再三、厠に駆け込みます。
考え方にも、いつも余裕がありません。

もちろん、それだけで戦局が決まったわけではないですが、
何事も体が資本、健康状態が思考・行動に反映されるということは、
われわれ現代人でも、戦国武将でも変わりありません。

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平和な世の中に生まれてよかったと思います。

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